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夢の国ですっ!!!


夏休み明け〜ハロウインまでの端境期にTDRへ行ってきました。
実に1●年ぶり、ディズニープロダクションやオリエンタルランドに関してはいろいろネガなニュースも見聞きし、舞浜駅から見た風景もすっかり変わっていましたが、やっぱり楽しかった。
日常や仕事のごたごたなど、この中にいると見事に頭の中から払拭されますから凄い世界です。
今回は娘推薦のvacation packageを利用しましたので以前とは打って変わって快適に過ごせましたし…。

変わったことと言ったら中国人来場者がいたことですかね。
1●年前は皆無でした。
来るなら、日本語とは言わないがマナーぐらい学んで来い!
ビュッフェでの食べ方は汚い、食べもしないのにたくさん取ってきて、残す(これは日本人でもいますが)。
携帯禁止の場所で携帯弄る。
注意されきょとんとしていたので、英語で横やりを入れてしまいました。

スタッフの人たちの気苦労やストレスを思うと、頭が下がります。
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| travel | 15:38 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
高山


 

連休が2週続いた今年のGW。
その連休の中日が出勤になっていて、GWどころか連休でもなかった娘が今週末ようやく3連休。
去年、友人とふらりと高山に行った際、食べられなかった飛騨牛の握りが食べたい!というので、ドライブがてらお付き合いw

高山といえば、私が若い頃は国道41号線をひたすら北上して、5時間ぐらいかかってようやく辿り着くという、ある意味秘境に近いイメージでしたが、今では高速使って2時間!!!!!
下呂なら1時間です。
便利になりました。

GW明けの平日なので、高山駅前の駐車場もガラガラ、人通りもゼロ。
これが観光地?というぐらい、閑散としていました。

でも、さすがに古い街並みの方は外国人、修学旅行か遠足の中学生(?)が、ぞろぞろと歩いていました。


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| travel | 19:06 | comments(2) | trackbacks(0) | pookmark |
バリの新空港
先日、747が滑走路をオーバーランして海に落っこちたングラライ国際空港。
入出国手続きにものすごい時間がかかることは以前の日記でも書いたとおりです。
その当時で既に空港のキャパを軽くオーバーしていて、バリ北部に新国際空港建設を検討中だそうです。

ングラライもすごく近代的な空港へと、現在、絶賛改装中。



国内線駐車場が工事現場になっていて、国際線、国内線両方の利用客が国際線到着出口前の通路を利用してカオス状態とかw
それにしても、完成予定がどこにもないのがいかにもバリだなあ・・・。
あってもその通りにはいかないのがバリだけどwww

ただ、ハード面がいくら充実してもねえ・・・・・と、思ったりしてwww

北部に建設予定というブレレン新国際空港がこのコミコミを緩和してくれるといいな〜と、思うんだけど、これも順調に進むかどうか・・・。
北部に空港ができれば、ウブドへは行きやすくなるw
名古屋から就航してくれればの話だけどね。
| travel | 20:32 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
おみやげ
今更ですけど、トルコのお土産。
初日、トロイの遺跡に行く前にお昼に立ち寄ったレストラン兼お土産屋さんで買ったシルクのクッションカバー。
ちなみにクリーニングとの事w

120512_0918~01.jpg 

とりあえず、シルクなので気持ちがいいw
他はアイスクリームの素、ロクム、ドライイチジクのチョコがけ、松のはちみつなど、食べ物ばっかりw
トルコから帰って既に1ヶ月以上経ちました。
もう、なのか、まだ、なのかよく分からないですが、ひいちは「現地シックになる〜〜〜」とうだうだしています。
仕事、今夜の夕飯どうしよう・・・とか、掃除しなくちゃとか、日常の雑多なこと忘れるための旅行ですから、その時間が恋しくなるのは仕方がないかwww
現在の職場のローテの関係上、5連休以上の休みが一般の支店に転勤になるまでないので、その間にガッツリ貯めて、又、行くだよw
| travel | 17:56 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
トルコ日記 その14 Hoşçakal İstanbul
イスタンブルの宿泊先シェラトンでようやくネット環境と遭遇w
ビジネスセンターにVAIOが設置してあったので、朝食後、空いた時間で早速mixiにログインを試みるも、シェラトンのオフィシャルサイトから脱出できずw、断念。

そうそう、前夜は、下層階でどんちゃん騒ぎをしていた宿泊客がいて、その声で寝られませんでした。日本語が聞こえたような気がするんだけど・・・全く、どこのバカがホテルで深夜まであんなどんちゃん騒ぎをしていたのやら。
声の響き方から推測するに、窓を開け放したまま騒いでる様子でした。
ところがこの騒ぎ、聞こえていたのは14階に泊まった中でも、私らとFさん、後数人。
他は全く気づかなかったとの事。
ホテル側曰く、12時までは地下でパーティーをしていたそうですが、その音が14階まで上がることは絶対ないのだそう。
1時過ぎても静かにならないので、私はフロントにクレーム電話入れましたぜ
なんにしても、シェラトンの遮音設備は良くありません。
カッパドキアのような田舎のホテルならいざ知らず、シェラトンだよね?と、ちょっと許せない状況でした。

話し変わって、は1453年のコンスタンティノープル。



現在のイスタンブルを書き込もうかと思いましたがwww
大競技場の東にブルーモスク、トプカプ宮殿は金角湾封鎖鎖の南側の付け根辺りの丘の上にあります。
黄金門、ペガエ門の辺りはテオドシウスの城壁が比較的きれいに残っているので、見たかったところですが、これが8日間のツアーの中に含まれるのは難しいです。 

金角湾を封鎖した鎖は今、軍事博物館に保管されています。

アヤソフィア見学の後は地下宮殿にまいりま〜すw
アヤソフィアを出口右手の通りを横切って行くと、なんでもない歩道に地下宮殿入り口の看板が立っています。

  


上左・地下宮殿。宮殿と言ってもその昔は貯水池として使われていました。
上右・涙の柱
下左・メデューサの基礎石

ここにある柱はこの為に作られたものではなく、各方面から余った資材を集めたもので、それぞれ長さが違うため、長さ調節の為に色んな方法がとられたとのこと。
その1つが右のメデューサの顔での底上げ。
ぶれてしまっているのでupしませんでしたが、この左隣には上下逆様のメデューサがいます。
それはそれで不気味。

天井からも水滴が落ちてきますし、床には水が溜まっています。
金魚が飼われていましたw
ギョクハンさんはここに来るとひんやりするので、夏場のガイドでは一番好きな場所と言っていました。
そりゃ、そうですよね。



地下宮殿から地上に戻リ、バスを待つ。
広場で焼き栗・焼きとうもろこしを売っているワゴン。
焼き栗、ツアーメンバーのお母さんが一袋かって皆に分けていました。
お相伴に預かりましたが、素朴な栗の甘みが美味しかった。
バスに乗って海に向います。
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| travel | 17:03 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
トルコ日記 その13 コンスタンティノープル最後の日
その時だった。朝靄に包まれてぼんやりとかすんでいたはるか彼方の地平線がゆらりと動いたのだ。いや、地平線そのものが、大きく盛り上がった感じだった。そして、それは、靄が薄れるにつれてはっきりした線になり、地平線全域に伸びたまま、波でも寄せてくるかのようにゆっくりと近づいてくる。 ウベルティーノは、これほどの数の軍隊を見たのははじめてだった。

塩野七生著・コンスタンティノープルの陥落 より

マホメッド2世がコンスタンティノープルへ進軍を開始したのは1453年4月4日。
宰相カリル・パシャに「あの街をください」と攻略宣言する前、アドリアーノポリのマホメッドの宮廷を一人のハンガリア人が「コンスタンティノープルの城壁を破壊できるほど強力な大砲を作れる」と訪れた。
同様にビザンチン帝国にも自作の大砲を売り込みにいったウルバンと名乗るこの男は、かの宮廷では相手にされなかったという。
それまで、自分の頭の中だけで描いていたローマ帝国の首都攻略という図が、スルタン・マホメッドの中で具体化したのはこの時だった。

もしビザンチン帝国がこの男を雇い入れていたら、歴史は変わったか・・・と、言うと、変わらなかったと私は思う。
どんなに強力な大砲を手に入れても、それを設置するに耐えうるだけの頑強な土台がなく、作ろうにも籠城戦になってしまえば、物資の輸送路を断たれるのは明白だったのだから。

陥落が5月29日。
この日が変わった可能性はあるが、陥落することは運命づけられていたように思う。
コンスタンティヌス11世も手をこまねいているだけではなかったのだが、尽き果てようとしていた十字軍遠征時代から衰える一方のローマ帝国の力は、臣民に敬愛された皇帝といえど、いかんともしがたかったに違いない。
コンスタンティヌス11世は、マホメッド2世のコンスタンティノープル攻略の意思が明らかになってから、年貢金を倍増するという案をトルコ側に提示している。
これに対するマホメッド2世の回答は「全面降伏」。
何度も西側およびローマ法王に援軍を要請したが、ローマ帝国最後の都にはせ参じたのはほんのわずかなヴェネツイア海軍とジェノバ海軍だけだった。
トルコ軍16万に対してキリスト教軍1万弱。
海戦では勝利したヴェネツイア、ジェノバ海軍だったが、金角湾を奪われ、数の上で圧倒するトルコ軍には手も足も出なかった。
2ヶ月近くもよく持ち堪えたものだと、逆に思う。

ローマ帝国最後の都は、

「私の胸に剣を突き立ててくれる一人のキリスト教徒もいないのか」−*

と、呟く皇帝が雪崩のように迫ってくる敵兵の真っ只中に姿を消したのと同時に若干21歳の若者の手に落ちた。

*首を刎ねてくれる・・・という説もあります。
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| travel | 01:05 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
トルコ日記 その12 バザールでごザール
日本では死語と化したこの言葉はイスタンブルではバリバリの現役でした。

ということで、トプカプ宮殿の見物を終えた後はグランドバザールへ向うのですが、この道筋もごちゃごちゃ。
イスタンブル市民のみならず、観光客も郷に入れば郷に従えとばかりに、大型観光バスが近寄っているというのに目の前を横切って危ないったらない。
バスの中の方がパニックでしたw



バスの窓から撮ったアヤソフィアと城壁。

ドライバーにとっては、延々と何もない道を長距離ドライブするより、イスタンブル市内をドライブする方が疲れるらしいですが、さもありなんです。

グランドバザール前の駐車場も、立錐の余地もなく、少しの空き地に私たちを下ろし、ドライバーさんは駐車場があくまでぐるぐる回ってくることに・・・お疲れ様です。

グランドバザールの手前にギョクハンさんの知り合いが経営しているお菓子屋さんがあります。
トルコののび〜〜〜るアイス・ドンドルマンの素の本格派はここにしかなく、他はのびませんとのこと。
ドンドルマンはユリの根の粉末を入れることであんな風にのびるのだそうですが、そのユリの根を使っているのはここだけだそうです。
あと、ロクムとかオリーブオイルの石鹸、化粧品、オヤという手作りのネックレスが置いてありました。
そして、なんと、そこでバイトしているらしき若い男性が日本人。
日本人観光客には物凄く無愛想で、この子笑わないの?なんて思ったのですが、グランドバザールから帰ってきたら、他の国の観光客には笑いかけていてびっくりw
それを見た全員が、
「笑うんだ・・・」
と、思わず口走るぐらい、それぐらい無愛想でした。
照れなのか、日本人観光客にうんざりしているのかは、分かりません。

ここで先に買い物すると荷物になるので、集合は50分後このお店と決め、ぞろぞろとグランドバザールへ。
グランドバザールは入り口に近い方から順番にお店の上に番号が振ってあります。
ですので、迷ったらその番号を頼りに1番に向ってくれば入り口にたどり着けます。
そこで一通りの説明を聞いて解散。



通りごとに天井の色が分かれているのでそれを目印にしても良いです。
ところどころに警備員さんが立っていて、迷ったら教えてくれます。
金曜日の夕方なのでとにかく凄い人。
人に圧倒されたのと、実家の父へのお土産探しで写真は全く撮らず・・・。

男親ってお土産に一番困りますね。
うちはまた、お酒も飲まないし、タバコも吸わない、と言ってブランド物買って上げたって何か知らないしwww

私たちはメインストリートを主に、時々、脇道にそれましたが、絶対メインストリートが目視できるところまでしか行きませんでした。
メインストリートの両脇は9割方宝飾店。
店の前に店員が立っていて(時にはチャイを手に立っている)、少しでもウインドウを覗こうものならとっ捕まりそうな雰囲気アリアリで、私らは遠巻きに見ているだけ。
買わない、買えない物を見ていて、売り込まれ、断るうざったさを極力避けて歩いていましたw

それでも、日本人と思うと、
「バザールでごザール」
「持ってけドロボー」
などと言って声かけてくる。
バザールで・・・は、ともかく、持ってけ・・・は、良い日本語ではないので止めた方が良いですよ。
日本の方も変な日本語を教えるのは止めましょうね。
私は、

「おお!ちっさい日本人!!!」

と、言われました。
そりゃね、イスタンブルくんだりまで来て改めて言われなくても、小さい日本人の中でもさらに小さいことは十分自覚しております。
自覚しておりますが、大きなお世話です
後、

「(私に向って)義理の母!(ひいちに向って)マリコさ〜〜〜ん」

など、明らかに私より年上のおじさんに言われました。
マリコさんって誰www?

グランドバザールは高いからお勧めしないと言うのが現地ガイドの正直な気持ちだそうです。
既に観光客価格になっているんですね。
私らも結局手ぶらで集合場所の先ほどの無愛想な日本人店員のいるお店に戻ったら、ギョクハンさんに「早っ!」と、驚かれました。
多分、15分位で戻っているので、ギョクハンさん史上でも最速だったのではないでしょうかw
そこでドンドルマンの素、オヤ、父にはもう仕方無しにマロングラッセを買い、外で、ボーっと他のメンバーの帰りを待つことに。
ボーっと待っていても、駒売りやら絨毯売りやらが声かけてきます。
いちいち相手するのも面倒なので、ガン無視しますが相手も懲りない。
トルコ石にしろ、絨毯にしろ、路上の土産売りにしろ、生活がかかっているので当然といえば当然ですが、人込みにうんざり気味の観光客にはうっとおしいことこの上ない。
無視するこちらもあんまりいい気持ちはしませんが、仕方がないです。

お店の前に全員戻り、買い物も済ませても、肝心のバスが駐車場にたどり着けない。
ギョクハンさんがドライバーさんと連絡取りながら待つこと数分、降車した場所に近づきつつあるからそこで拾うとのこと。
走ってその場所に向いました。
そこでバスを停めていると、後続車に迷惑をかけるので、急いで乗り込み無事発車。
ドライバーさんは、駐車場があかず、結局、ぐるぐると4周ほど周辺を回ってきたそうです・・・・・というので、車内は拍手と喝采の渦。
はあ、本当にお疲れ様です。

 

左・フルーツジュース屋さんの店頭。山盛りの果物。
右・イスタンブル市内の絨毯屋さん。店内でおばちゃんが絨毯を織っていました。ここはきっと高いと思いますが、品質は良さそうですね。ただ、色んな意味で怖くて入れないなwww



何モスクか分からないけど、とにかく、モスク。
次にイスタンブルに来てもグランドバザールは来ないな、きっとw
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| travel | 16:36 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
トルコ日記 その11 あの街をください

一都市の陥落が一国家の滅亡につながる例は、歴史上、さほど珍しいことではない。だが、一都市の陥落が、長い歳月にわたって周辺の世界に影響を与え続けてきた一文面の終焉につながる例となると、人類の長い歴史の上でも、幾例を数えることが出来るであろうか。そして、それがしかも、年がはっきりしているだけでなく、何月何日と、いや、時刻さえもはっきり示すことが出来るとしたら・・・・・。コンスタンティノープルは、滅亡の日が明らかであるだけでなく、誕生の日もはっきりしていることでも、珍しい都なのであった。

塩野七生著・コンスタンティノープルの陥落 より

西暦330年5月11日、それまでビザンチウムと呼ばれていた都は創立者コンスタンティヌス大帝の名を取ってコンスタンティノポリスと呼ばれるようになる。
それから1123年の間、最盛期(ユスティニアヌス帝時代)には、東西はペルシアとの境からジブラルタル海峡、南北はナイル上流からイタリアアルプスまで領土を拡大。
11世紀頃から勢力圏縮小が始まり、東地中海制海権がビザンチン人からジェノバ、ヴェネツィアの手に移り、1204年、第4次十字軍のラテン帝国創建によって一時的に帝国は消滅。
わずか60年でビザンチン人がラテン人を追い出し、コンスタンティノープルに復帰を果たす頃には東に大敵・オスマントルコが成長しつつあった。
オスマントルコがボスフォロス海峡を渡り、ヨーロッパの地を次々と征服していった結果、ビザンチン帝国に残ったのは首都コンスタンティノープルとペロポネソス半島のごく一部だけとなってしまう。
この陸の孤島と化した東ローマ帝国の最後の皇帝となったのが、

滅びゆく優雅な文明を体現するかのように、名誉を尊びながらもおだやかな性質の49歳の洗練された紳士であった。2回の結婚もいずれも妃に先立たれている。子はなかった。

という、創立者と同じ名のコンスタンティヌス11世。

アナトリアの地で成長しつつあったオスマントルコはマルマラ海に近いブルサに首都をおいていたが、1362年アドリアーノポリを陥落させ、その2年後、首都をここに移す。
1402年スルタン・バヤゼット率いるトルコ軍がコンスタンティノープルを包囲するも、アンカラでティムール率いるモンゴル軍と対戦、完敗を喫し、一夜にして消滅。
残虐なことでは有名だったトルコ兵だが、モンゴル兵のそれははるかにトルコを上回っていた。
スルタンまで捕虜になり、内部分裂を起こしたトルコは、20年という期間、内紛状態に陥る。
20年後、スルタン・ムラードの下、攻勢に転じてきたトルコにコンスタンティノープルは再び包囲されるが、スルタンはそれ以上の勢力拡大を良しと判断しなかったのか、戦はもっぱら防衛に徹し、ジェノバやヴェネツイア相手に友好通商条約を結び、コンスタンティノープルは東と西を結ぶ自由港のような立場におかれることとなる。

アキサンダー大王やユリウス・カエサルの生涯に異様な興味を持つ、

マホメッド2世がスルタンムラードの三男として生まれたのはそんな情勢下だった。

母親は生まれの低いもとキリスト教徒の奴隷であったというマホメッドを父親のムラードはさほど愛さなかったらしい。
長兄が総督をしていた小アジアの地に2歳の時に母親と乳母とともに送られる。
マホメッド5歳の時、その長兄が死亡。
そして、1443年、誰とも分からぬものに次兄が暗殺されると11歳のマホメッドはスルタンの世継ぎになる。
残されたたった一人の世継ぎを首都に呼び寄せたムラードはキリスト教軍に大勝したことをきっかけに突如、引退、その後、一時的に帝位に返り咲くも47歳で死亡。
マホメッドは1451年2月18日、若干19歳と10ヶ月でオスマン帝国のスルタンに正式に即位。
即位の儀式が行われる一方で、ハレムの浴室では弟となる幼児が殺されていた。
スルタン即位後の弟殺しはこの後トルコ帝国の慣習となる。
スルタン即位後、1年経った秋、マホメッド2世は亡父に「ラーラ(先生)」と呼ぶよう命令されていた、イスラム・キリスト共存共栄派の宰相カリル・パシャに向って、胸の中に長年しまっておいた思いを口にする。

「あの街をください」
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| travel | 21:56 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
トルコ日記 その10 トルコといえば
世界遺産、トルコ石、トルコ絨毯、そして、気球に猫。

え?猫?と、思うでしょ?
そうなんですよん。
バリもバリ猫が有名ですが、トルコにも有名な猫がいます。
それはまた後ほど。

トルコ旅行6日目、カイセリ空港からイスタンブールに戻ります。

荷物をまとめてチェックアウト。
ホテルのロビーにはトルコ石をメインにしたアクセサリーが陳列してあります。
流石にオスマン帝国を擁していただけあって、トルコ石のアクセサリーと言えどデザインが日本のものとは違います。
ですが、絶対これが見たいとは言えない雰囲気を醸し出しているのは、値札が見えないようになっているところw
私が棚の中を覗いていたところへ、うちのツアーのメンバーで一人で参加していた女性が現れ、一緒に眺めながら、
「この値札が見えないというところがミソですよね。棚から出させて買うまで押し切ろうと言う魂胆がミエミエw」
という話をしたら、先日立ち寄ったトルコ石店もそうだったと。
日本ではトルコ石のアクセサリーは宝石店でも貴石や真珠におされて、そんなに数を扱っていない上に、値段もそんなに高いものは見かけないですが、トルコは違う。
あんまり売り子さんがしつこいので、じゃあ・・・と、見せてもらった指輪が20万円だったと。
いくら18K台とは言え、産地でですよ。
それが日本に来たら一体いくらになるんだ?
20万円出せば、ちっこいけどダイヤが買えるやん・・・・・まあ、ダイヤが好きか、トルコ石が好きかという好みの問題もありますが。
それを聞いたら怖ろしくって、ガラスに鼻息もかからない距離で両手を後ろに回して見物しましたwww
前日に立ち寄ったトルコ絨毯店も結局そんな感じの売込みだったとのこと。
やっぱり行かなくて良かったwww

と、話しているうちに、そろそろポーターさんがスーツケースをバスに運び始めたので、ふとホテルの外を見たらこんな風景が!

 

気球がホテルの目の前まで下りてきていました。
上空を見上げると、ホテルの背後から続々と気球が飛んできます。



日の出前に離陸し、上空で日の出をむかえ、1時間ほど空を遊覧して戻ってくるのですけど、気球ツアー会社によってテリトリーが決まっているそうです。
パイロットさんは、
「タイタニック〜〜〜〜〜〜!」
と、言いながら林立した岩を掠めるように操縦するのだとかw(時々、マジで事故がおきるそう)。
この乗客はヨーロッパ人なのか、下から見ていると籠から結構半身が出ていて、怖かったですw
手を振って無言の交流w
こういうところに来て、こういうことをすると皆オープンになるのが不思議ですね。

前にも書いたかもしれませんがトルコのハイシーズンは8月。
これから夏、紅葉の秋までは気球ツアーの予約が非常にとりにくくなるそうです、念の為。
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| travel | 19:11 | comments(2) | trackbacks(0) | pookmark |
トルコ日記 その9 料理事情
カッパドキアは大体洞窟ホテルに泊まると言うのが売りのようですね。
中にはホテルの部屋が鳩の谷に面している・・・なんてホテルもあるそうです。
私らの宿泊先・ギョレメ・カヤ・オテルの利用率は高いみたいです。
他と比べようがないですが、ビュッフェとはいえ、料理はそれまでのホテルの中では1番でした。

そうそう、このホテルにはこれ何だろな〜と思いながら初日のランチのデザートの衝撃的な思い出が脳裏をよぎって皆が手を出さなかったデザートがありました。



ケマル・パシャ。
この見たからにしっとりした風貌が危険な感じを漂わせていると思いませんか?
サバランみたいにスポンジケーキをシロップにどっぷりつけたもので、フォークを突き刺そうとするだけで、じんわ〜〜〜〜〜〜〜と、シロップがにじみ出ます。
ホテルでは皆避けていたのですが、洞窟ホテルでのお昼でデザートにお出ましになり、うちのお嬢が勇気を出して挑戦してみたところ・・・・・見事玉砕しました。
何もここまで甘いシロップにここまでひたひたに漬ける必要はないんじゃないか?というのが日本人的感覚。

トルコ料理が世界三大料理の一つだったと言うのは、「いつから?」と言うのが皆同じ意見でした。
Fさんですら、「知らなかったわ〜」と言うぐらいですから。
前に書きましたが、私は、フランス、イタリア、中国と思っていました。
ところが、トルコに来てから当然のごとくトルコ料理三昧であるにも拘らず、やっぱり「何で?」という疑問は頭から離れません。
帝国、王国の宮廷で発展した料理が三大料理に選ばれているそうなのですが、トルコ料理はスルタンの宮廷で発展した+種類の多さで三大料理に数えられるのだそう。
・・・と言われてもねえ・・・・・。

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| travel | 21:08 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |

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